学校にある石碑
●開校百周年記念碑(昭和48年9月22日建立)
裏面には、建立された有志の方20名のお名前が記されています。
令和5年には開校百五十周年を迎えました。
当時は、来待教育振興会から、学校に体育館用ストーブ2台と運動会用テント1張り、全校児童一人一人にきれいなペーパーウェイトを記念品として寄贈されました。また、記念の青い幟が地域内の各所に立ちました(幟の写真は当時のもの)。
透明で透き通っているきれいなペーパーウェイトは、もう手に入りません。
なお、本校には、明治40年以降の卒業記念写真が、今に至るまで校長室前廊下に掲示してあります。
●文部大臣 学校安全 表彰記念碑(平成8年10月建立)
平成6年に学校安全文部大臣表彰を受け、記念碑が作られました。
裏面には、建立日と建立者(来待教育振興会、来待小学校PTA)が記されています。
●健康碑(昭和31年建立)
表面に「真健康 常に心身を最好調に育てることを考える」と記されています。
この年に日本体育指導者連盟より保健体育優良校として全国表彰をされています。
裏面に、建立年と建立者のお名前(揮毫:教育長、作詞:学校長、設計:体育主任、施工:技工)が刻まれています。
●行啓記念園・来待小学校改築記念園(昭和53年5月建立)
中庭にある庭園の左側に碑があります。
来待小学校改築期成同盟会により建立、庭園設計施工の斐川町の造園業者名が記されています。沿革史では昭和53年に新校舎竣工式が行われています。皇太子行啓記念園落成は明治40年という記録があります。当時の庭園を新校舎建設に併せて整備し直したのでしょうか。
奥にある石灯籠は、来待村青年会弘長寺支(部?)の寄附と記されています。
改築前の学校の様子の写真はこちらです。
現在の校舎はこちらです。
●行啓記念園の碑(明治40年12月建立)?
行啓記念園の左奥に大きな石碑があります。風化していてはっきりと読むことができません。
表面には上部に「行啓記念園碑」?とおしゃれな字体で記されているようです。
その下には、当時の校長謹撰として漢文の文章が刻まれており、「吾來待村」「親拝」「英姿近接」などの文字が見られます。
裏面に建立年月と建立者として村長、村會議員の方々のお名前が記されているようですが、風化して読み取るのが困難です。
●なかよしひろば(昭和62年度頃建立)
題字には「なかよしひろば 贈 来待石の庭園 六十二年度卒業生一同」とあります。
詳細は不明です。
●石から生まれた「いしまるくん」「いしみちゃん」「いしおくん」(平成15年、29年)
いしまるくんは来待小のアイドルとして平成15年11月22日に生まれました。
来待小学校開校130周年記念のモニュメントです。
いしみちゃんは妹、いしおくんは弟で双子です。平成29年に生まれました(石像に平成29年と刻まれています)。
いしみちゃん、いしおくんは、来待橋にもいます。
余談ですが、8月の暑い中、川に白鳥がいてびっくりしました。写真に写っていますが見えますか?
●二宮金次郎(平成9年9月建立)
金次郎は、農業の発展と地域社会の復興のために働いた江戸時代の人物です。小さい時に両親を亡くし、非常に貧しい生活を送りましたが、自ら学び、努力を重ねることで困難を乗り越えました。その姿は、薪を背負いながら読書をする像で知られています。
台座には「立志」「勉学」「勤勉」「力行」「敬愛」「進取」「協力」という文字が刻まれています。
●たのしいなかま(昭和61年建立)
詳細は不明ですが、「S61たのしいなかま」と書かれています。
大きな作品で、昇降口で毎朝、児童を迎えてくれます。
●学校入り口にある丸い円盤12枚+四角い盤1枚+カエル
作成年や作成者がわかりませんが、児童の作品と思われます。
図柄に加えて数字で班名が記されており、なかよし班で作成されたものかもしれません。
●来待幼稚園跡地(平成23年3月閉園)
当時の門柱(昭和45年6月1日作成?)には、裏面にそれぞれ寄贈者のお名前が記されています。
(宍道町長、宍道町議会副議長、宍道町教育委員長、宍道町教育委員、宍道中学校長、来待小学校長、宍道町議会教育厚生委員長、宍道町議会議員、来待小学校PTA会長、来待幼稚園PTA会長)
跡地の一角に碑が残されています。
来待幼稚園の園舎は、下の写真では右下の赤い屋根の部分です。
※ 資料等見つかりましたら追記します。