<松江市立八雲中学校について>

 戦後、昭和22年4月に岩坂村立岩坂中学校と熊野村立熊野中学校が創立し、昭和25年には両中学校が合わさり熊野村・岩坂村組合立意宇中学校が新たに創立した。その1年後の昭和26年春には村合併により両村が八雲村となり、八雲村立八雲中学校と改称し、翌昭和27年に現在地に校舎が落成した。

 平成元年に現在の校舎が竣工。平成17年の「平成の大合併」により松江市立八雲中学校と改称し現在に至る。

 令和6年4月現在、生徒数175名(1年生:58名、2年生:49名、3年生:68名)

<八雲町について>

 松江市の南東部に位置し、北東側は東出雲町と、南東側は安来市と、南西側は雲南市とそれぞれ接し、東西に約8km、南北に10kmの広がりをもつ山間地域である。

 昭和26年4月1日に岩坂村・熊野村、大庭村字平原が合併して八雲村となり、平成17年3月31日に「平成の大合併」により松江市八雲町が成立した。

 地域内を南北に貫流する意宇川上流には出雲國一之宮「熊野大社」があり、古くより人々の厚い信仰を集めている。明治期に入り当地域では、農業の改良を図る一方、養蚕、製炭、製紙など副業の発展にも力を注ぎ、また、教育の普及、道路の改修など生活環境の改善にも努力し、模範村・優良村として注目された。洋紙に押され衰退していた和紙は、昭和に入り民芸運動の中で見直され、人間国宝・(故)安部榮四郎氏を中心に手すきの民芸紙として発展してきた。現在においても、本校の卒業証書は生徒自らが「安部榮四郎記念館」に赴き、紙すきにより作成している。

 令和6年1月末現在の町内人口は6,616人、世帯数は2,697世帯で、宅地開発などを背景に、前年よりも増加傾向にある。

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